過去3年間に上演した作品をご紹介します。
木の上の軍隊
実話から生まれたいのちの寓話が今、語りかける。
ある南の島。
ガジュマルの木に逃げ込んだ兵士二人は、
敗戦に気づかず、二年間も孤独な戦争を続けた――
人間のあらゆる心情を巧みに演じ分け、観る者の心に深く刻みつける山西惇が、再び本土出身の"上官"を演じる。
注目の新キャスト・松下洸平は、柔らかく、おおらかな存在感で島出身の"新兵"に挑む。
歌手・普天間かおりをガジュマルに棲みつく精霊"語る女"に抜擢。琉歌に乗せて島の風を吹き込む。
2016年、こまつ座版『木の上の軍隊』が新たに立ち上がる。
井上ひさし氏の未完の作品を執筆してほしいと依頼されたときは、ひっくり返りそうになった。
しかも残っているのは膨大なメモ書き程度の文章。それすら僕には解読できない。
「題材とタイトルはある。後は自分で作りなさい」と井上ひさし氏が言っているようだった。
重圧しかないこの依頼を引き受けて僕に何か得なことがあるのだろうかと考えた。
何よりも「戦争」を描く権利が僕にあるのかと。
戦争中そして戦後の空気を肌で感じて生きてきた井上ひさし氏が描くことと、何も知らない僕が描くことでは質も意味もまるで違いすぎはしないだろうか、と逃げ腰になっていた。
しかし、僕は僕なりに真っ向勝負する覚悟を決めた。
僕が継承しようと思ったのは井上ひさし氏の文体でもなければ思想でもない。その前のめりな姿勢である。
そして知った。「戦争は終わっていない」まだ今もそこにあるということを。
僕たちは戦争を知らない世代ではない。戦争がまだそこに存在していることを知らない世代だ。
そういう世代にも観てもらいたいと思って書いた作品でもある。
この作品が再び上演されることを嬉しく思う。
何故なら2人の兵士が木から下りることが依然叶わない状況だからである。
これは依然「今」の物語である。
―――蓬莱竜太
この物語の実際のガジュマルの木を見に、沖縄の伊江島に渡った。
その木の上に、今でもそのままに、なにも変わらぬ沖縄の現在をじっと見つめる二人の兵士がいたように思えた。
「このまま、二人とも木になってしまえたらいいのに・・・」
これは、最後の打ち合わせで、井上さんが小さくもらした言葉だった。
―――栗山民也
ある南の島。
ガジュマルの木に逃げ込んだ兵士二人は、
敗戦に気づかず、二年間も孤独な戦争を続けた――
人間のあらゆる心情を巧みに演じ分け、観る者の心に深く刻みつける山西惇が、再び本土出身の"上官"を演じる。
注目の新キャスト・松下洸平は、柔らかく、おおらかな存在感で島出身の"新兵"に挑む。
歌手・普天間かおりをガジュマルに棲みつく精霊"語る女"に抜擢。琉歌に乗せて島の風を吹き込む。
2016年、こまつ座版『木の上の軍隊』が新たに立ち上がる。
井上ひさし氏の未完の作品を執筆してほしいと依頼されたときは、ひっくり返りそうになった。
しかも残っているのは膨大なメモ書き程度の文章。それすら僕には解読できない。
「題材とタイトルはある。後は自分で作りなさい」と井上ひさし氏が言っているようだった。
重圧しかないこの依頼を引き受けて僕に何か得なことがあるのだろうかと考えた。
何よりも「戦争」を描く権利が僕にあるのかと。
戦争中そして戦後の空気を肌で感じて生きてきた井上ひさし氏が描くことと、何も知らない僕が描くことでは質も意味もまるで違いすぎはしないだろうか、と逃げ腰になっていた。
しかし、僕は僕なりに真っ向勝負する覚悟を決めた。
僕が継承しようと思ったのは井上ひさし氏の文体でもなければ思想でもない。その前のめりな姿勢である。
そして知った。「戦争は終わっていない」まだ今もそこにあるということを。
僕たちは戦争を知らない世代ではない。戦争がまだそこに存在していることを知らない世代だ。
そういう世代にも観てもらいたいと思って書いた作品でもある。
この作品が再び上演されることを嬉しく思う。
何故なら2人の兵士が木から下りることが依然叶わない状況だからである。
これは依然「今」の物語である。
―――蓬莱竜太
この物語の実際のガジュマルの木を見に、沖縄の伊江島に渡った。
その木の上に、今でもそのままに、なにも変わらぬ沖縄の現在をじっと見つめる二人の兵士がいたように思えた。
「このまま、二人とも木になってしまえたらいいのに・・・」
これは、最後の打ち合わせで、井上さんが小さくもらした言葉だった。
―――栗山民也
2016年11月10日(木)〜27日(日)
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
頭痛肩こり樋口一葉
いつの時代も変わらぬ"仕合わせ"を求めて
豪華女優陣で贈る
井上ひさし評伝劇のファンタジー
井上ひさし戯曲の中でも屈指の人気作『頭痛肩こり樋口一葉』。1984年こまつ座旗揚げ公演で初演、86年には芸術座で「東宝・こまつ座提携特別公演」としてロングラン公演が行われた。
その後も再演を重ね、2013年夏には栗山民也演出も、連日の満員御礼を飾った。
そして一葉没後120年の今年、日比谷に一葉が再び現れる。
今回初めて一葉役に挑むのは、12年日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞、数々の映画・舞台・ドラマで唯一無二の演技が人々の記憶に残る、永作博美。
そして13年に引き続き、芸能生活50周年を迎えた三田和代、今年紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した熊谷真実、華やかで誠実な演技に定評のある愛華みれ、健気な存在感が光る深谷美歩、大人の色気とコメディエンヌぶりを発揮する若村麻由美が出演。
盆の日は幽界(あのよ)と明界(このよ)がつながる日。
一葉19歳から死後2年までの盆の16日に焦点をあてた、
切ないのに楽しい、死から生けるものへの応援歌(エール)。
明治の天才女流作家・樋口一葉。24歳6ヶ月の若さで没するまで、「たけくらべ」「大つごもり」など22の短編と40数冊に及ぶ日記と四千首をこえる和歌の詠草を残した。
男性中心の時代に、貧しさに苦しみ、恋を捨て筆一本で身を立てようとした一葉と、たくましく生きる女性たち。笑いのうちに心が洗われ、勇気が湧き出る珠玉の名舞台。
東宝のサイトはこちら
豪華女優陣で贈る
井上ひさし評伝劇のファンタジー
井上ひさし戯曲の中でも屈指の人気作『頭痛肩こり樋口一葉』。1984年こまつ座旗揚げ公演で初演、86年には芸術座で「東宝・こまつ座提携特別公演」としてロングラン公演が行われた。
その後も再演を重ね、2013年夏には栗山民也演出も、連日の満員御礼を飾った。
そして一葉没後120年の今年、日比谷に一葉が再び現れる。
今回初めて一葉役に挑むのは、12年日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞、数々の映画・舞台・ドラマで唯一無二の演技が人々の記憶に残る、永作博美。
そして13年に引き続き、芸能生活50周年を迎えた三田和代、今年紀伊國屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した熊谷真実、華やかで誠実な演技に定評のある愛華みれ、健気な存在感が光る深谷美歩、大人の色気とコメディエンヌぶりを発揮する若村麻由美が出演。
盆の日は幽界(あのよ)と明界(このよ)がつながる日。
一葉19歳から死後2年までの盆の16日に焦点をあてた、
切ないのに楽しい、死から生けるものへの応援歌(エール)。
明治の天才女流作家・樋口一葉。24歳6ヶ月の若さで没するまで、「たけくらべ」「大つごもり」など22の短編と40数冊に及ぶ日記と四千首をこえる和歌の詠草を残した。
男性中心の時代に、貧しさに苦しみ、恋を捨て筆一本で身を立てようとした一葉と、たくましく生きる女性たち。笑いのうちに心が洗われ、勇気が湧き出る珠玉の名舞台。
東宝のサイトはこちら
2016年8月5日(金)〜25日(日)
日比谷・シアタークリエ
紙屋町さくらホテル
楽しいときほど、
その楽しさを無理やり奪われた人たちのことを条件反射みたいに
ふっと思う人間に僕はなりたいし、
そういうのが普通にできるようになったら
絶対に間違わない世の中ができると思う。 ――――― 井上ひさし
昭和20年師走。東京・巣鴨プリズンに「自分はA級戦犯だ」と拘留を求める初老の男がいた。
長谷川清。元台湾総督にして海軍大将、天皇の密使という経歴を持つ男。
応対したのは針生武夫。元陸軍中佐にして、堪能な英語力と戦前の経歴を買われて今やGHQで働いている男。長谷川の願いを退け、追い返そうとする。
二人は7ヶ月前、終戦直前の広島でともに過ごした特別な三日間を思い返すのだった。
その年の5月の広島。
紙屋町さくらホテルでは明後日に迫った特別公演のため、移動演劇隊「さくら隊」の二人の俳優、「新劇の団十郎」こと丸山定夫と宝塚少女歌劇団出身のスター園井恵子が、にわか仕立ての隊員を相手に必死の特訓の真っ最中。
この時代、演劇...とくに「新劇」は表現の自由を決定的に奪われていた。慰問のための集団「移動演劇隊」が国策として組織され、これが丸山らにとって芝居をする唯一の道だった。
「さくら隊」では、アメリカ生まれの日系二世で敵性外国人として監視を受けるホテルの女主人・淳子と、その従妹で共同経営者の正子が一員になったばかり。そこに宿泊客の言語学者・大島、淳子を監視する特高刑事の戸倉、劇団員に応募してきた玲子も加わっている。さらには富山の薬売りに扮して宿を訪れた天皇の密使・長谷川と、そのあとを追うように現れた林と名乗る傷痍軍人(実は針生)も、丸山らにあれこれと理由をつけられ、一緒に芝居をすることになる。
台本は『無法松の一生』。
それぞれの思惑が交錯する中、寄せ集め一座の稽古は抱腹絶倒の笑いを巻き起こしながら進んでゆく――。
『父と暮せば』(戦後命の三部作)に次ぐ
井上ひさしが描いたもう一つの「ヒロシマ」。
新たなキャストを得てこまつ座が10年ぶりに贈る、
笑いと歌声でつむぐ物語。
その楽しさを無理やり奪われた人たちのことを条件反射みたいに
ふっと思う人間に僕はなりたいし、
そういうのが普通にできるようになったら
絶対に間違わない世の中ができると思う。 ――――― 井上ひさし
昭和20年師走。東京・巣鴨プリズンに「自分はA級戦犯だ」と拘留を求める初老の男がいた。
長谷川清。元台湾総督にして海軍大将、天皇の密使という経歴を持つ男。
応対したのは針生武夫。元陸軍中佐にして、堪能な英語力と戦前の経歴を買われて今やGHQで働いている男。長谷川の願いを退け、追い返そうとする。
二人は7ヶ月前、終戦直前の広島でともに過ごした特別な三日間を思い返すのだった。
その年の5月の広島。
紙屋町さくらホテルでは明後日に迫った特別公演のため、移動演劇隊「さくら隊」の二人の俳優、「新劇の団十郎」こと丸山定夫と宝塚少女歌劇団出身のスター園井恵子が、にわか仕立ての隊員を相手に必死の特訓の真っ最中。
この時代、演劇...とくに「新劇」は表現の自由を決定的に奪われていた。慰問のための集団「移動演劇隊」が国策として組織され、これが丸山らにとって芝居をする唯一の道だった。
「さくら隊」では、アメリカ生まれの日系二世で敵性外国人として監視を受けるホテルの女主人・淳子と、その従妹で共同経営者の正子が一員になったばかり。そこに宿泊客の言語学者・大島、淳子を監視する特高刑事の戸倉、劇団員に応募してきた玲子も加わっている。さらには富山の薬売りに扮して宿を訪れた天皇の密使・長谷川と、そのあとを追うように現れた林と名乗る傷痍軍人(実は針生)も、丸山らにあれこれと理由をつけられ、一緒に芝居をすることになる。
台本は『無法松の一生』。
それぞれの思惑が交錯する中、寄せ集め一座の稽古は抱腹絶倒の笑いを巻き起こしながら進んでゆく――。
『父と暮せば』(戦後命の三部作)に次ぐ
井上ひさしが描いたもう一つの「ヒロシマ」。
新たなキャストを得てこまつ座が10年ぶりに贈る、
笑いと歌声でつむぐ物語。
2016年7月5日(火)〜24日(日)
新宿南口・紀伊國屋サザンシアター
漂流劇 ひょっこりひょうたん島
開幕にあたり、キャストの皆様よりコメントをいただきました!
串田和美(演出・美術・脚本)
漂流する芸人/おもに国際警察官らしき男を演じる
普通の演劇の概念とは違うものを作ろう......ということはいつも思っていることですが、今度はとくにそれを最初から狙っていましたし、そのようになったんじゃないかなと思います。残念ながら「こういうものを作りました。このように見てください」とは言えません。設計図があるなら「もう8割がた、できました。あとは屋根を葺くだけです」と言えるけれど、屋根がいるのかいらないのかもわからないものを作っているから。役者さんたちも知らないものを作っていくわけですから、不安を持ち、試行錯誤しながらも、それを楽しみに切り替えて一緒にやってきました。ベテランの方ほど、経験していないものを作ろうと一生懸命考えて、それに向かって頑張ってくれたと思います。
開幕直前の今は、ガ〜ッと混ぜ物をした中から、ふわっと姿が見え出してきたところ。初日もまだまだ、お客様の前に出す寸前まで何かが起こるだろうと思います。この作品に取り組んだ当初に言っていたのは、「『ひょっこりひょうたん島』をそのままやるわけではなく、今から50年後のある記憶、できれば100年後の記憶として振り返れるような作品にする。その記憶とはいったい何だろう? そんな舞台を作りたい」ということ。その思いは今も頑固に変えていません。感性豊かなお客様に自由に観ていただいて、いろんなものを発見していただけたら嬉しいなと思っています。
井上芳雄
漂流する芸人/おもにマシンガン・ダンディを演じる
メンバーの中から湧き出てくるものを待つ、というか、信じる。それが今回の串田さんのやり方で、そう理解してからは楽しくやってきました。自由というのは手掛かりがなくて厳しいことでもあるけれど、自分はそれが嫌いじゃないな、と。とくに緊張や不安感はないですね。演劇なんてもともと自由なもので、本来はどんな形であってもいいわけですから。ただ、本当に言葉通りにそれに挑戦するというのは、ものすごく大変なことだなと思います。とにかく今回の舞台は、得体の知れない感じは強いです(笑)。
この舞台のマシンガン・ダンディは"自分は何者なのか""自分と相手とは何が違うのか"といった、生きていれば誰しも感じる哲学的なテーマを背負っています。でもそんな大仰じゃなく、その思いを芝居で楽しく、おかしく届けたい。井上ひさしさんがずっと書いていらっしゃったことに通じるんじゃないかなと思いますね。お客様に時間と空間を共有してもらって、一緒に漂流している気持ちになってもらえれば。たぶん毎回、違う舞台になると思うので、僕たちも、そこで生まれるものを見逃さないようにしたいなと思います。
安蘭けい
漂流する芸人/おもにサンデー先生を演じる
稽古場では、串田さんが「こんな感じ......みたいな」とイメージを言葉にされるのですが、その"みたいな"の範囲が劇場に入って舞台に立つ中でどんどん狭くなってきて、作品の世界観がより明確になってきています。これから初日までの短い期間にギュッと絞り込まれて、固まってくるのだろうなと。串田さんも「この時間がすごく大事だから! ミラクルみたいな時間なんだよ」とおっしゃっていたので、どんな舞台に出来上がるのか私自身もすごく楽しみにしているんです。
不思議なプロローグから始まって、本編が始まった時に、きっと「あっ、そう来るのか!」と思われるのではないかと思います。初日の、その瞬間の反応がすごく楽しみでもあり、怖くもあります。でも演じている我々は確固たる自信を持って、串田さんのスピリッツを私達のからだに取り込んで、井上ひさしさんの描かれた世界を伝えていかなければと。60年代に人形劇が訴えていたテーマが、今まさに響く時代になっているので、そういったメッセージもお伝えできるよう頑張りたいと思います。
山下リオ
漂流する芸人/おもに博士を演じる
20代から70代までのキャストが揃い、この一ヶ月半ほどの稽古期間でしっかりとした関係性を築くことができました。そんなところも舞台に表れてくるのではないかなと思っています。私が演じるハカセくんは、皆とはちょっと離れたところで冷静な分析ができる子です。 感情より先に情報を口にしちゃうところがあって、すごく頭がいいからか、時々「ンン!?」と理解できない部分も(笑)。そんな、ただの天才じゃないところが見ていて面白いんじゃないかなと思っています。正直、今でも「これでいいのかな?」と思ったりしていますが、串田さんが「その迷いを持っていていい舞台だから」と言ってくださったんです。毎回違うものになると思うので、どんな反応が返ってくるのか、楽しみと不安の両方があります。最後に「バカバカしいなあ」と笑える方もいれば、泣いちゃう方もいらっしゃると思うんです。時々自分も演じていて、なぜだかわからないけれど泣きそうになる時があるので。本当に予測のつかない、自由さが大事な舞台です。お客様にも自由に受け取っていただいて、楽しんでいただければと思います。
小松政夫
漂流する芸人/おもにトラヒゲを演じる
串田さんの緻密な計算、細大漏らさずの演出方法によって作られた、これまで体験したことのない舞台になりました。僕らがやる喜劇というのは結構おおまかなもので、笑い飛ばして次に行っちゃう、とかだけど(笑)、こちらはもうラグビーのように、完全なるフォーメーションで動くからアドリブなんてできません。僕の飛び道具、いわゆる昔ウケたギャグは、稽古場では十分に出してきましたが、最終稽古までにどれかが採用されればいいな、という感じですね。アレが出るかも...という予感だけは持っていていただいても結構です(笑)。『ひょっこりひょうたん島』は荒唐無稽な話ではあるけれど、私に言わせれば、これはメルヘンです。メルヘンをぶち壊すようなことはできませんからね。お客さん、それぞれが心に持つ『ひょっこりひょうたん島』を思い浮かべて来ていただければ、きっと「懐かしいな、いい時代だったんだな〜」という思いが心に残るんじゃないでしょうか。人形劇を見たことのない年代の人も「何かが胸にじんとくる、いい光景だな。いいものを見たな」と思っていただけたらいいですね。
白石加代子
漂流する芸人/おもにドン・ガバチョを演じる
串田さんは今もまだ緻密に詰めて、考えていらっしゃる。若い頃にはそういう作品作りもありましたが、それこそ人生の終わりのほうでこうした経験ができたことは、ちょっと得したなと感じますね。稽古の間、役者たちも右往左往しましたけど、豊かな時間だったなと思います。
この物語では、ドン・ガバチョの"底抜けの明るさ、いい加減さ"が、危機的状況において救いになっているんですね。なのに自分の中にはそういった部分が探してもみつからず、なかなかたどり着けない。でも姿形からすっとんきょうな感じにしてくださっているのと、一役だけじゃなくほかの役も演じるところが、どこかの芝居の一座の余興のような風情でもあるんですよ。役を掘り下げてどうこうとは考えなくていいしつらえになっているので、一色にならず、客観的に楽しむことができて良かったなと思います。毎ステージ、いろいろ違ってくると思いますので、できれば何回も観てください(笑)。時間をかけて作った舞台です。どの日も、ありきたりなところへは漂着しないと思いますよ。
◆◆◆
1964年から69年の5年間、NHK人形劇シリーズとして放送され、超個性的な登場人物たちが繰り広げる奇想天外、豪快で壮大な物語と、誰もが口ずさめるテーマソングや独特のユーモアで、子供から大人まで、日本中のお茶の間を魅了した「ひょっこりひょうたん島」(井上ひさし・山元護久原作)が、Bunkamuraとこまつ座の手により、全く新しい舞台作品として誕生することとなりました。
脚本を手掛けるのは、演劇、放送など多岐にわたって才能を発揮する、劇作家、演出家、小説家、劇団「遊園地再生事業団」主宰である宮沢章夫と、劇団「ジエン社」主宰で脚本家、演出家の山本健介。時代と文化を独断と愛で切り取る鋭い視点で、「ひょうたん島」に新たな風を吹き込みます。
演出は2014年の『もっと泣いてよフラッパー』、コクーン歌舞伎『三人吉三』でも鮮烈な記憶を残した、シアターコクーン初代芸術監督・串田和美。演劇と音楽を絶妙に融和させ大胆な舞台空間を現出させる串田演出により、「ひょうたん島」の世界と、ある時代の別のストーリーがふわりと重なり合い、色彩豊かで多層的な作品が生まれるでしょう。
さらに、今回の漂流劇に欠かせない音楽を担当するのは数多くのミュージカルなどを手掛け、舞台音楽家として活躍、テレビ、ラジオなどでも数々のヒット曲を生み出してきた宮川彬良。多くの人に愛された宇野誠一郎の名曲を軸に、自由で多才、そして自ら"ひょうたん島ファン"と語る宮川が手掛ける音楽と歌が、ひょうたん島の世界に奥行を与えます。
出演は、その優美な歌声でミュージカル界を牽引する一方、ストレートプレイでも実力を魅せる井上芳雄、宝塚時代から高い歌唱力、演技力で注目を浴び、舞台女優として引く手あまたの活躍を続ける安蘭けい、「ファントム」のクリスティーヌ役での美声が記憶に新しい若手実力派山下リオ、日本を代表する喜劇人の1人として舞台のみならず映像の世界でも無二の存在感を発揮する小松政夫、役柄により千変万化の顔を見せ、卓抜な演技力で観客を魅了し続ける白石加代子。ほかに、様々な演出家や主宰などから熱い支持を得、多方面で活躍中の演技派、小松和重、中村まこと、山田真歩、一色洋平、久保田磨希。ウィットに富んだ演技や楽器演奏、歌などで舞台にスパイスを利かせる、串田作品には欠かせない大森博史、真那胡敬二、内田紳一郎といった個性的で魅力溢れるキャストが揃いました!
【ミュージシャン】
アラン・パットン(アコーディオン)、馬谷勇(ギター)、ギデオン・ジュークス(ベース/チューバ)、木村おうじ純士(ドラムス/パーカッション)
<串田和美コメント>
人形劇『ひょっこりひょうたん島』がテレビで放送されだしたのは、東京オリンピックの頃。もう半世紀も前。僕は俳優学校を卒業する前で、仲間と劇団をつくろうか議論していた。今みたいに若い連中が勝手にどんどん劇団をつくって勝手にこわすという時代ではなかった。東京という街はというと、どんどん壊し、どんどん新しいものがつくられていた。それから50年の歴史が流れた。今新しく『ひょっこりひょうたん島』を舞台作品にするとなると50年我々は何をやってきたのだろうと考えてしまう。50年前にはまだ生まれていなかった人たちに、どんな様相でどんなことを語ろうか考えてしまう。しかも生身の身体で。
『ひょっこりひょうたん島』はひょっこり現れて、ひょっこり消えていったような気がする。それがみんなの心に残っている。観なかった人たちの心にも。まだ生まれていなかった人たちの心にも。
それは気づかぬうちにそっと、しかし、したたかに成長しているような気もする。再会するのが楽しみな、成長する記憶のような舞台をつくってみたい。それは飛びっきり楽しく、飛びっきり贅沢な芝居の姿になるだろう。
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串田和美(演出・美術・脚本)
漂流する芸人/おもに国際警察官らしき男を演じる
普通の演劇の概念とは違うものを作ろう......ということはいつも思っていることですが、今度はとくにそれを最初から狙っていましたし、そのようになったんじゃないかなと思います。残念ながら「こういうものを作りました。このように見てください」とは言えません。設計図があるなら「もう8割がた、できました。あとは屋根を葺くだけです」と言えるけれど、屋根がいるのかいらないのかもわからないものを作っているから。役者さんたちも知らないものを作っていくわけですから、不安を持ち、試行錯誤しながらも、それを楽しみに切り替えて一緒にやってきました。ベテランの方ほど、経験していないものを作ろうと一生懸命考えて、それに向かって頑張ってくれたと思います。
開幕直前の今は、ガ〜ッと混ぜ物をした中から、ふわっと姿が見え出してきたところ。初日もまだまだ、お客様の前に出す寸前まで何かが起こるだろうと思います。この作品に取り組んだ当初に言っていたのは、「『ひょっこりひょうたん島』をそのままやるわけではなく、今から50年後のある記憶、できれば100年後の記憶として振り返れるような作品にする。その記憶とはいったい何だろう? そんな舞台を作りたい」ということ。その思いは今も頑固に変えていません。感性豊かなお客様に自由に観ていただいて、いろんなものを発見していただけたら嬉しいなと思っています。
井上芳雄
漂流する芸人/おもにマシンガン・ダンディを演じる
メンバーの中から湧き出てくるものを待つ、というか、信じる。それが今回の串田さんのやり方で、そう理解してからは楽しくやってきました。自由というのは手掛かりがなくて厳しいことでもあるけれど、自分はそれが嫌いじゃないな、と。とくに緊張や不安感はないですね。演劇なんてもともと自由なもので、本来はどんな形であってもいいわけですから。ただ、本当に言葉通りにそれに挑戦するというのは、ものすごく大変なことだなと思います。とにかく今回の舞台は、得体の知れない感じは強いです(笑)。
この舞台のマシンガン・ダンディは"自分は何者なのか""自分と相手とは何が違うのか"といった、生きていれば誰しも感じる哲学的なテーマを背負っています。でもそんな大仰じゃなく、その思いを芝居で楽しく、おかしく届けたい。井上ひさしさんがずっと書いていらっしゃったことに通じるんじゃないかなと思いますね。お客様に時間と空間を共有してもらって、一緒に漂流している気持ちになってもらえれば。たぶん毎回、違う舞台になると思うので、僕たちも、そこで生まれるものを見逃さないようにしたいなと思います。
安蘭けい
漂流する芸人/おもにサンデー先生を演じる
稽古場では、串田さんが「こんな感じ......みたいな」とイメージを言葉にされるのですが、その"みたいな"の範囲が劇場に入って舞台に立つ中でどんどん狭くなってきて、作品の世界観がより明確になってきています。これから初日までの短い期間にギュッと絞り込まれて、固まってくるのだろうなと。串田さんも「この時間がすごく大事だから! ミラクルみたいな時間なんだよ」とおっしゃっていたので、どんな舞台に出来上がるのか私自身もすごく楽しみにしているんです。
不思議なプロローグから始まって、本編が始まった時に、きっと「あっ、そう来るのか!」と思われるのではないかと思います。初日の、その瞬間の反応がすごく楽しみでもあり、怖くもあります。でも演じている我々は確固たる自信を持って、串田さんのスピリッツを私達のからだに取り込んで、井上ひさしさんの描かれた世界を伝えていかなければと。60年代に人形劇が訴えていたテーマが、今まさに響く時代になっているので、そういったメッセージもお伝えできるよう頑張りたいと思います。
山下リオ
漂流する芸人/おもに博士を演じる
20代から70代までのキャストが揃い、この一ヶ月半ほどの稽古期間でしっかりとした関係性を築くことができました。そんなところも舞台に表れてくるのではないかなと思っています。私が演じるハカセくんは、皆とはちょっと離れたところで冷静な分析ができる子です。 感情より先に情報を口にしちゃうところがあって、すごく頭がいいからか、時々「ンン!?」と理解できない部分も(笑)。そんな、ただの天才じゃないところが見ていて面白いんじゃないかなと思っています。正直、今でも「これでいいのかな?」と思ったりしていますが、串田さんが「その迷いを持っていていい舞台だから」と言ってくださったんです。毎回違うものになると思うので、どんな反応が返ってくるのか、楽しみと不安の両方があります。最後に「バカバカしいなあ」と笑える方もいれば、泣いちゃう方もいらっしゃると思うんです。時々自分も演じていて、なぜだかわからないけれど泣きそうになる時があるので。本当に予測のつかない、自由さが大事な舞台です。お客様にも自由に受け取っていただいて、楽しんでいただければと思います。
小松政夫
漂流する芸人/おもにトラヒゲを演じる
串田さんの緻密な計算、細大漏らさずの演出方法によって作られた、これまで体験したことのない舞台になりました。僕らがやる喜劇というのは結構おおまかなもので、笑い飛ばして次に行っちゃう、とかだけど(笑)、こちらはもうラグビーのように、完全なるフォーメーションで動くからアドリブなんてできません。僕の飛び道具、いわゆる昔ウケたギャグは、稽古場では十分に出してきましたが、最終稽古までにどれかが採用されればいいな、という感じですね。アレが出るかも...という予感だけは持っていていただいても結構です(笑)。『ひょっこりひょうたん島』は荒唐無稽な話ではあるけれど、私に言わせれば、これはメルヘンです。メルヘンをぶち壊すようなことはできませんからね。お客さん、それぞれが心に持つ『ひょっこりひょうたん島』を思い浮かべて来ていただければ、きっと「懐かしいな、いい時代だったんだな〜」という思いが心に残るんじゃないでしょうか。人形劇を見たことのない年代の人も「何かが胸にじんとくる、いい光景だな。いいものを見たな」と思っていただけたらいいですね。
白石加代子
漂流する芸人/おもにドン・ガバチョを演じる
串田さんは今もまだ緻密に詰めて、考えていらっしゃる。若い頃にはそういう作品作りもありましたが、それこそ人生の終わりのほうでこうした経験ができたことは、ちょっと得したなと感じますね。稽古の間、役者たちも右往左往しましたけど、豊かな時間だったなと思います。
この物語では、ドン・ガバチョの"底抜けの明るさ、いい加減さ"が、危機的状況において救いになっているんですね。なのに自分の中にはそういった部分が探してもみつからず、なかなかたどり着けない。でも姿形からすっとんきょうな感じにしてくださっているのと、一役だけじゃなくほかの役も演じるところが、どこかの芝居の一座の余興のような風情でもあるんですよ。役を掘り下げてどうこうとは考えなくていいしつらえになっているので、一色にならず、客観的に楽しむことができて良かったなと思います。毎ステージ、いろいろ違ってくると思いますので、できれば何回も観てください(笑)。時間をかけて作った舞台です。どの日も、ありきたりなところへは漂着しないと思いますよ。
◆◆◆
1964年から69年の5年間、NHK人形劇シリーズとして放送され、超個性的な登場人物たちが繰り広げる奇想天外、豪快で壮大な物語と、誰もが口ずさめるテーマソングや独特のユーモアで、子供から大人まで、日本中のお茶の間を魅了した「ひょっこりひょうたん島」(井上ひさし・山元護久原作)が、Bunkamuraとこまつ座の手により、全く新しい舞台作品として誕生することとなりました。
脚本を手掛けるのは、演劇、放送など多岐にわたって才能を発揮する、劇作家、演出家、小説家、劇団「遊園地再生事業団」主宰である宮沢章夫と、劇団「ジエン社」主宰で脚本家、演出家の山本健介。時代と文化を独断と愛で切り取る鋭い視点で、「ひょうたん島」に新たな風を吹き込みます。
演出は2014年の『もっと泣いてよフラッパー』、コクーン歌舞伎『三人吉三』でも鮮烈な記憶を残した、シアターコクーン初代芸術監督・串田和美。演劇と音楽を絶妙に融和させ大胆な舞台空間を現出させる串田演出により、「ひょうたん島」の世界と、ある時代の別のストーリーがふわりと重なり合い、色彩豊かで多層的な作品が生まれるでしょう。
さらに、今回の漂流劇に欠かせない音楽を担当するのは数多くのミュージカルなどを手掛け、舞台音楽家として活躍、テレビ、ラジオなどでも数々のヒット曲を生み出してきた宮川彬良。多くの人に愛された宇野誠一郎の名曲を軸に、自由で多才、そして自ら"ひょうたん島ファン"と語る宮川が手掛ける音楽と歌が、ひょうたん島の世界に奥行を与えます。
出演は、その優美な歌声でミュージカル界を牽引する一方、ストレートプレイでも実力を魅せる井上芳雄、宝塚時代から高い歌唱力、演技力で注目を浴び、舞台女優として引く手あまたの活躍を続ける安蘭けい、「ファントム」のクリスティーヌ役での美声が記憶に新しい若手実力派山下リオ、日本を代表する喜劇人の1人として舞台のみならず映像の世界でも無二の存在感を発揮する小松政夫、役柄により千変万化の顔を見せ、卓抜な演技力で観客を魅了し続ける白石加代子。ほかに、様々な演出家や主宰などから熱い支持を得、多方面で活躍中の演技派、小松和重、中村まこと、山田真歩、一色洋平、久保田磨希。ウィットに富んだ演技や楽器演奏、歌などで舞台にスパイスを利かせる、串田作品には欠かせない大森博史、真那胡敬二、内田紳一郎といった個性的で魅力溢れるキャストが揃いました!
【ミュージシャン】
アラン・パットン(アコーディオン)、馬谷勇(ギター)、ギデオン・ジュークス(ベース/チューバ)、木村おうじ純士(ドラムス/パーカッション)
<串田和美コメント>
人形劇『ひょっこりひょうたん島』がテレビで放送されだしたのは、東京オリンピックの頃。もう半世紀も前。僕は俳優学校を卒業する前で、仲間と劇団をつくろうか議論していた。今みたいに若い連中が勝手にどんどん劇団をつくって勝手にこわすという時代ではなかった。東京という街はというと、どんどん壊し、どんどん新しいものがつくられていた。それから50年の歴史が流れた。今新しく『ひょっこりひょうたん島』を舞台作品にするとなると50年我々は何をやってきたのだろうと考えてしまう。50年前にはまだ生まれていなかった人たちに、どんな様相でどんなことを語ろうか考えてしまう。しかも生身の身体で。
『ひょっこりひょうたん島』はひょっこり現れて、ひょっこり消えていったような気がする。それがみんなの心に残っている。観なかった人たちの心にも。まだ生まれていなかった人たちの心にも。
それは気づかぬうちにそっと、しかし、したたかに成長しているような気もする。再会するのが楽しみな、成長する記憶のような舞台をつくってみたい。それは飛びっきり楽しく、飛びっきり贅沢な芝居の姿になるだろう。
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東京公演:2015年12月15日(火)〜28日(月)
Bunkamuraシアターコクーン
東京2月公演:2016年2月3日(水)〜11日(木・祝)
Bunkamuraシアターコクーン