あの日、あの朝、広島の上空五百八十メートルのところで原子爆弾ちゅうもんが爆発しよっ たのは知っちょろうが、爆発から一秒あとの火の玉の温度は摂氏一万二千度じゃ。(略)あの太陽の表面温度が六千度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空五百 八十メートルのところに、太陽が、ペカーッ、ペカーッ、二つ浮いとったわけじゃ。 (『父と暮せば』二場より)
昭和二十年、八月六日。
このときから、漢字の広島は、カタカナのヒロシマになった。 (朗読劇『少年口伝隊一九四五』より)
1994年、戦後49年目の年に誕生した
二人芝居『父と暮せば』。
原爆投下から三年後の広島。市立図書館で働きながらひとり静かに暮らす美津江の胸の中には、ほのかな恋心が芽生え始めていた。そんな美津江の目の前に、 まったく突然に父竹造があらわれる。自分の恋心を必死で抑えつけようとする美津江に、竹造は全身全霊、懸命なエールを送るのだが......。
1995年、日本各地を巡る全国公園を開始(すまけい・梅沢昌代)。98年には上演回数200回に迫り(前田吟・春風ひとみ)、2001年、モスクワにて こまつ座初の海外公演(沖恂一郎・斉藤とも子)、2004年には香港での公演も実現した(辻萬長・西尾まり)。また、黒木和雄監督の手により戯曲に忠実に 映画化された同名映画も、異例のロングランを記録した。
新国立劇場開場記念公園『紙屋町さくらホテル』(97年)、朗読劇『少年口伝隊一九四五』(08年)の原点ともなった『父と暮せば』。女優栗田桃子を美津 江役に迎えて、辻萬長の竹造との父娘役で装いも新たに上演し、通算386ステージを数えた。しして栗田桃子は朝日舞台芸術賞寺山修司賞に輝いた。
次世代に、そして全世界に語り継ぎたい、井上戯曲の最高傑作にしてこまつ座のライフワーク!!
2010年 8月10日 (火)〜 8月12日 (木)
あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)