こまつ座:(井上ひさし・ 「the 座」創刊号より・ 84 年 4 月) 「the座」創刊号(84年4月)より
 

英語の定冠詞の“ the
(ザ)”に一座の“座”」

座という字の成り立ちは、屋根があって、人が二人以上いて、その下に土がある。こまつ座の劇場を持つという夢の実現にあたって、まずは紙の劇場として「 the 座」がスタートした。
 


 
 

      
 
 

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第46号:闇に咲く花
 

前口上 井上ひさし

8月15日がめぐってくるたびに、わたしは関行男海軍大尉の言葉を思い出します。/関大尉は、神風特別攻撃隊『敷島隊』の指揮官として爆装ゼロ戦に乗り込んで米空母に体当りを試み、太平洋戦史上はじめて命中に成功した海軍切っての名パイロットでした。/昭和19(1944)年10月24日、フィリピンのマバラカット基地を飛び立つその前日、関大尉は、現地にいた同盟通信社(共同通信社の前身)の小野田政記者にこう洩らしました。/「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、体当たりしなくても、500キロ爆弾を敵の空母を命中させて帰ってきてみせるのだが。・・・ぼくは明日、天皇陛下のためとか、大日本帝国のために往くのではない、最愛のKA(ケイエイ・妻を意味する海軍隠語)のために往くんだよ」(略)関大尉と同じ思いの若者がじつに大勢いたはずです。彼らの切ない心の内を推し量るとき、たとえば昭和59年(1984)年の金丸信自民党総務会長(当時)の中曽根政府の諮問機関「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」での挨拶などは、まったく空空しく聞こえてしまいます。あとで判ることですが、私腹を肥やして金庫に金の延べ棒を隠していたこの政治屋は、『国のために命をささげた人々に対する閣僚の公式参拝は国民の民族精神の回復のためにも必要だ。この会の設置は大きな前進である』と挨拶しました。/国のために命をささげた人々・・・・・・?ちがう。関大尉の遺した言葉からもはっきりしているように、あの若者たちは『国のために殺された』のではなかったか。彼らはもっと生きたかったのです。(略)その上、いまは彼の死まで己の利益のために利用しようとする。汚いね。/あのひとたちが思い残したものをしっかり受け取って、あのひとたちから「おしまいだね」と言われないような世の中をつくる。そしてあのひとたちを静かにしておいてさしあげる。そういう神社を夢見ながら、わたしはこの戯曲を書いたのでした。

特集:戦没演劇人の記録 英霊たちの舞台写真 渡辺昭夫

・・・召集令状。赤紙1枚で人は兵士にされた。それが天皇陛下の命令だった。演劇人も戦地に送られ、文学座の友田恭助が上海で戦死。エノケン劇団菊谷栄は中国戦線に倒れた。歌舞伎女形中村章景も銃弾に崩れ落ちた。そして、新劇劇団の大半が解散。移動演劇連盟に加入した。太平洋戦争が始まった。

インタビュー

栗山民也(演出)
「見ようとして、聞こうとして、戦争の記憶を受け継いでいく」

宇野誠一郎(音楽)
「舞台から聞こえる 重層的な音の世界」

名古屋 章(牛木公麿)
「演劇の力をお客様は知っている」

千葉哲也(牛木健太郎)
「日本人が失くした何かをこの作品は教えてくれる」

茅野イサム(稲垣善冶)
「稽古三日目に茶髪をばっさり五分刈りにしました」

たかお鷹(GHQ法務局主任雇員 諏訪三郎)
「諏訪役四回目。自然体で人間臭いGHQにしたい」

小市慢太郎(神田警察署猿楽町交番 鈴木巡査)
「前回にとらわれず舞台で自由に生きたい」

水村直也(ギター弾きの加藤さん)
「伴奏者でなく 加藤さんとして」

木下政治(神田警察署猿楽町交番 吉田巡査)
「“道ばたの花”のような人間にいつか僕もなりたい」

増子倭文江(遠藤繁子)
「拝啓 あざみの花様 また貴女を手本に演じます」

梅沢昌代(田中藤子)
「何があってもとにかく生きてこうね」

日下由美(中村勢子)
「死の近くに生きていた人たちの深い関わりを伝えたい」

那須佐代子(久松加代)
「想像力でつなぐ、過去の記憶」

島田桃子(小山民子)
「切実な時代の未亡人たち 支えられたり、支えたり・・・」

四本あや(子守の少女)
「心も身体も全開にして あの時代の少女になりたい」

お問合わせはこまつ座出版部まで
03-3851-6180
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