こまつ座:(井上ひさし・ 「the 座」創刊号より・ 84 年 4 月) 「the座」創刊号(84年4月)より
 

英語の定冠詞の“ the
(ザ)”に一座の“座”」

座という字の成り立ちは、屋根があって、人が二人以上いて、その下に土がある。こまつ座の劇場を持つという夢の実現にあたって、まずは紙の劇場として「 the 座」がスタートした。
 


 
 

      
 
 

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第22号:日本人のへそ
 

前口上 井上ひさし

この『日本人のへそ』は昭和30年代前半の浅草のストリップショーを扱っておりますから、ヌードショー全盛の今から見ると、少しばかり分かりにくいところがあるかもしれません。そこで前口上がわりに二三注釈のようなものを申し上げますと、まず一回の興行は二部に分かれていました。第一部は芝居です。ギャグ(笑わせる工夫)のたくさん入った一時間前後の芝居、出演者はだいたい6、7人、口立てではなく、作者が台本を書いていました。つまり毎回、新作という豪華版です。もちろん演出家がいて稽古をつけます。筋は他愛もないものですが、しかし演技的には高度なものがありました。伴淳三郎、森川信、八波むと志、佐山俊二、渥美清、長門勇、谷幹一、関敬六、三波伸介、萩本欽一、坂上二郎といったように、日本の喜劇人の三分の一ぐらいは浅草のストリップ劇場で仕事をしていましたから、程度はすこぶる高い。ちなみにヌードショー時代になってからは喜劇人は出ていません。ビートたけしは昭和47年夏に浅草フランス座からデビューしましたが、例外は彼ぐらいなものかもしれません。そのビートたけしにしても喜劇人とは言えないわけで、ここまでひっくるめて言いますと、ストリップ時代の浅草は喜劇人たちの学校であったわけです。ですからストリップ劇場の芝居はほんとうにおもしろかった。

特集 ヴィーナスの誕生 文・渡辺昭夫
新宿・帝都座五階劇場の1年9ヵ月

時はいまから45年前、1947(昭和22)年にさかのぼる。日本が焼け跡の中から必死で立ち上がろうとしていたこの年の風俗史に必ず登場するのが、日本のストリップショウの始まりといわれる「額縁ショウ」である。/このショウは、新宿三丁目にあった帝都座五階劇場開場公演として幕をあけた。

●光は新宿から ●踊り子の誕生 ●肉体の門 ●秦 豊吉 ●ストリップショウの時代 

●特別資料 帝都座五階劇場開場公演 
ミューヂックショウ ヴイナスの誕生 作 佐谷功

座談会●演劇って何だろう⑩ 劇作家について
「劇作家には言葉への戦略がある。つか式、役者の肉体が発する言葉」

ゲスト つかこうへい

稽古場から ある日の稽古場物語

江波杏子(ストリッパー) 
「少女からストリッパーまで、役づくりは必死です」

大高洋夫(会社員) 
「集中力とエネルギーで新発見」

小田豊(教授)   
「作者からの挑戦状をつきつけられた気がする!」

大島宇三郎(右翼) 
「輝いていられるというのは幸福なことですね」

沖恂一郎(審判員)  
「ストリップのコメディアン志望だったんですよ」

斎藤暁(鉄道員) 
「浅草の匂いを、なんとか出せるといいんですけどね」

市川勇(学生) 
「僕いま40です。これからスタートします」

下馬二五七(合唱隊男①) 
「吃音者が必死でめざすユートピア」

下村彰宏(合唱団男②) 
「辛い仕事だって、笑いながらやろうよ」

朴勝哲(ピアニスト) 
「元気のでる音楽をつくりたいですね」

西山水木(アナウンサー) 
「自分を表現できる場を一生持ち続けたい」

篠崎はるく(沖縄娘) 
「はるくの“腹出し踊り”に注目!!」

芹なづな(合唱隊女①) 
「『私には何でもできる』恥ずかしいなんていってられない」

明樹由佳(合唱隊女②) 
「舞台では嘘はつかない、絶対に」

お問合わせはこまつ座出版部まで
03-3851-6180
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